引き継ぐ未来は、仲間とつくる。

文・WEBマガジンOTONAMIE村山祐介/写真・井村義次

左から北中秀樹さん、小林勝彦さん、小林優真さんと奥さん(お二人のお子さん)

ブランド和牛と違い、家庭で食されることが多い豚肉。ブランド豚肉さくらポークも家庭での消費が圧倒的に多い。味わいに定評があり、調理をしても灰汁が出にくく、甘味があり、サラっとしたクセのない脂身が特徴。そんなさくらポークはどのように育ち、ブランド豚肉になったのか?今回、養豚家の親子を取材した。そして新たに、ええやんさくらポークが地域ブランドとなる未来を考察も交えてお伝えしたい。

子どものころから、食卓に並ぶのは豚肉。

鈴鹿山脈の麓で養豚業を営む小林ファームの小林優真さんを訪ねた。優真さんは家業に入るためにアメリカで大規模養豚を一年半学んだ。小林ファームでは、広大な敷地で約4000頭の豚を飼育している。

優真さん:養豚業の規模としては日本では普通です。

現在28歳と優真さんは若手の養豚家。父の勝彦さん、義兄の北中さんらと働いている。

優真さん:親子で仕事の内容はバラバラなので、あまり話すこともないですね。

取材の4日前に稼働が始まったという新設の豚舎を、防疫服に身を包み特別に見せていただいた。豚は人と同じように温度にとても敏感な生き物。新豚舎では温度により自動でヒーターが入ったり、熱いときは窓が開く。またエサやりも機械化され、ボタン一つで行える。豚の排泄物もタイマーで自動的に集められ、堆肥となる。いかに清潔な環境をつくるか。それが大事だという優真さんに仕事のやりがいを聞いた。

優真さん:豚たちが元気で動いている様子を見るのがやりがいです。

豚舎の見回りの際、痩せていたり毛が立っているなど、調子の悪い豚を見つけることも大事な仕事だという。

優真さん:父はいまでも現場仕事もしていて、私が元気がない豚の見落とすと指摘をされることがあります。

唐突だが漁師に好きな魚料理を尋ねるように、養豚家にも好きな豚肉料理を聞いた。

優真さん:小さいころから食卓は、ほとんど豚肉でした。唐揚げも豚肉。だから外食は魚が多いです(笑)。豚肉料理はヒレカツが好きですね。

今回取材する、ええやんさくらポークの味について尋ねると、

優真さん:さっぱりとした脂身、甘味のある肉。味には絶対の自信があります。

小さいころから豚肉を食べてきた舌を持つ若き生産者は、魚の味がわかる漁師の息子に似ていると思った。

父の背中。

ここで少し、日本の養豚の歴史について触れておきたい。第二次世界大戦前、日本では115万頭近い豚が飼育されていた。しかし戦後、その数は8万頭にまで激減。高度経済成長期、その後の経済成長とともに多くの養豚家は休みなく働いた。優真さんの祖父や父・勝彦さんもその一人だ。就業当時を振り返り、こんな話を教えてくれた。

勝彦さん:とにかく重労働でした。家業に入ったのは21歳。当時、養豚業界では、しんどいのが当たり前でした。23歳くらいから事業規模を広げたので、借金を返していくのが大変でしたよ。

ええやんさくらポークの前身となるブランド豚・さくらポークを作ったのは、勝彦さん世代の養豚家集団だ。その名は四P会。

勝彦さん:ええ豚を作ろうと、仲間たちととにかく勉強したり研究をしたり。「うちはこのエサで育ててみる」。「オレんとこはこういう品種を育ててみる」。そうやってエサの改良など、仲間と研鑽を重ねてできたのが、さくらポークです。

四P会を始める前は、それぞれの養豚家は豚にバラバラのエサを餌を与え、飼育方法もそれぞれだった。いまは四P会が研究し、積み重ねたデータを元に、たんぱく質は植物性のみエサに使っている。そうすることで、豚にとって消化のよいエサとなり体調を崩しにくく、ストレスが少ないという。ストレスは肉質にも直結しており、臭みがなく甘味のある肉が自慢だ。

勝彦さん:豚はちょっと風邪を引いただけで味が変わってしまう、繊細な生き物なんです。

ええやんさくらポークを育てる四P会の養豚家の多くは、豚肉の直売所を経営したり、農協の直売所などでも販売している。そのメリットは販売価格が自分たちで決められることもあるが、消費者の声を直接聞けることも、養豚家にとっては大きい。

勝彦さん:お客さんの話も聞き入れて、今より少しでも良い肉をつくる。そうやって仲間とがんばってきました。

息子の仕事に、つい口を出ししてしまうのは、それだけ養豚への想い入れがある証拠だと思った。

父が50代前半のとき「もう仕事せんでええよ」と言ったという勝彦さんは、跡継ぎへの思いを尋ねると照れくさそうに話してくれた。

勝彦さん:早めに仕事辞めたいから、息子はいつ「引退してええよ」と言ってくれるんやろ(笑)。

最後に、現在2代目や3代目からなる四P会への思いも教えてもらった。

勝彦さん:四P会を立ち上げたメンバーとも「ええ息子らが育ったな」とよく話すんですよ。みんなで一生懸命勉強しとるのが分かります。自分らのときより、ようやっとるなって。

競合ではなく仲間。

親世代が、努力の上に築き上げたブランド豚を引き継ぐ優真さん世代。目指す先を聞いた。

優真さん:みんなで同じ品種、エサ、飼育方法や期間で育て、安定した品質の豚肉を更に研究を重ねて、少しでも美味しい豚肉にしていきたいです。品質には自信があります。まずは僕たちが作ったええやんさくらポークを、口にしてくれた人から評判が広まっていけばいいなと思っています。

そして続けた。

優真さん:さらに次の世代につなげていくには、働きやすい環境、設備なども整えていきたいです。

同業他社の垣根を越えて、みんなで、仲間でひとつのブランドを育てる。当事者である優真さんにとって四P会での居心地はどんな感じなのだろう。

優真さん:四P会の中で、わたしが一番年下。先輩と勉強会などをすると、それは学びでしかないと感じています。あと集まるだけで楽しいです。同業ですがライバルって言葉は当てはまらない。お酒を一緒に吞んだりするだけでも、とても楽しいんです。

地域で、みんなで。

SDGs・持続可能な開発目標が叫ばれる昨今。地方創生時代もそうだろうか。地域で、みんなで、新しい価値を作っていくことが求められている。それは生産者だけでなく、料理人、そしてそれを口にする私たち消費者も含めて、みんなで。私事で恐縮だが、地方創生系のライターをしていて思う事がある。それは漁村や農村など、食材が豊かな地域に暮らす人には、独特の朗らかさがあるということ。昔からその地域で守られ、引き継がれてきた大切な文化であり歴史が背景にある。

今から始まる、ええやんさくらポークが地域ブランドになることで、地域は全体的にどう豊かになっていくのだろうか。それは地域の人が地元の生産者を支えることで、安定的に高品質の食材を手に入れることができるという、暮らしの豊かさではないだろうか。次の時代を模索し、行動する養豚家たちの新しい物語は、始まっている。